第72話 青年僧の葛藤
コラパップは再び窓の方を向く⋯⋯
「なんじゃ、タイラーか⋯⋯いつからそこにいた?」
「さっきから二人の会話を聞いていたよ」
しばし、沈黙の時が数秒間、続く⋯⋯
コラパップは深いため息をつくと、タイラーなる青年僧にこう告げた。
「来週、カシミールの中印国境へ行ってもらうぞ」
「何のために戦うんだ?」
「もちろん、我らが故郷を取り戻すためじゃ」
「それは命令か?」
「命令じゃ」
再び、沈黙の時が少し、続く⋯⋯
「中国の心霊気功に対抗するためには⋯⋯お主の力が必要じゃ」
「わかったよ⋯⋯行くよ」
タイラーはコラパップに背を向け立ち去る。
師匠に対する言葉遣いの悪さからも見て取れる通り⋯⋯
タイラーは虚無感に苛まれていた。
タイラーは亡命チベット人三世で、インド生まれのインド育ちである。チベット人と言うだけで背負わされた宿命に苛立っていたのだ。
回廊を歩きながら、タイラーはつぶやく⋯⋯
「俺は⋯⋯俺自身のために生きたい!」
すると、先ほどの稚僧がタイラーの後を追いかけて来た。
「兄貴ぃ!待ってください!」
「どうした?師匠の言いつけは済んだのか?」
「はい!それより兄貴!兄貴もこれをどう思いますか?兄貴もタルパを作れますよね?」
スマートフォンの画面を差し向けてきた。
「ふん、くだらん!」
「僕もタルパ⋯⋯作りたい!」
「ダメだ!あれは絶対にやっちゃダメだ!お前は勉強ができる。将来は海外へ留学しろ」
「兄貴はチベットはどうでもいいんですか?僕たちの故郷ですよ!」
タイラーは立ち止まり、稚僧の方を振り向くとしゃがみ込み、両手を稚僧の肩に乗せた⋯⋯
「いいか、俺の話を聞け。世界は広い⋯⋯お前が今、手に持っているスマホの画面に映し出されたものも⋯⋯まやかしだ」
「⋯⋯」
「一番大切なことは、自分の頭で考えることだ」
「自分の頭で?」
「そうだ、その画面の⋯⋯なんだ?掲示板か?そこに書き込んでいるバカ共と同類だけにはなるな」
「う、うん⋯⋯なんか、わかった」
「よし!お前は良い子だ」
タイラーはそう言うと、立ち上がり、その場を去った。