第56話 縁談
文子は気を取り直して、執筆の作業に取りかかる。
憧れの芥川龍之介にちなむ芥川賞の受賞を目指し⋯⋯黙々と作業に取りかかる。小一時間くらいしてからだろうか⋯⋯ドアノックの音がする。
「文子!ちょっといいか?入るぞ」
「あら、お父さん⋯⋯どうぞ」
文子の父、文雄が静かにドアを開ける。
「大学はどうなさったのですか?」
「いや、今日は午前中に担当講義がないんで、午後からだ」
ただ、何かいつもと違う様子に感じられた。何か⋯⋯こう、申し訳なさそうと言うか、言いづらそうな表情をしていたのだけは何となくわかった。
「どうしたの?何か⋯⋯あったの?」
「いや、何な⋯⋯座っていいか?」
「どうぞ」
文雄は文子のベットの上に座った。
そして、しばしの沈黙が続いた後、話を切り出してきた。
「なぁ、文子⋯⋯お前も良い年齢だ。今度⋯⋯見合いしないか?」
「⋯⋯」
「相手はなぁ、すごい良い人なんだ!」
突然の見合い話に頭が真っ白な状態となる文子⋯⋯
結婚のことなんか、今の今まで考えたことは一切なかったのだ。一人の女性として心の準備もまったくできていなかった。
「お、お父さん!ごめんなさい!私⋯⋯ちょっと、突然のことで」
「なぁ、文子。夢だけを追いかけ続けるのは⋯⋯どうかと思うぞ」
「⋯⋯」
「別にさぁ!結婚して、落ち着いた後からでも、いくらでも執筆はできる訳だしさぁ!ちょっと、もう少し、現実的な考えも持とうよ」
「ごめん、ちょっと考えさせて⋯⋯」
「そっか、でもな。まぁ、いいか。とりあえず、今日一日、よく考えてよ」
「わ、わかった⋯⋯」
文雄は部屋から出て行った。
直後、文子は声を押し殺すように⋯⋯泣き始めた。
限界だった⋯⋯
大学在学中から何回も応募している。
受賞を逃し続けている焦りから、精神的にいっぱいだった。
一時は、将来有望の若手作家誕生か⋯⋯文芸関係の雑誌の取材も受け、そう持てはやされた時期もあった。
「ゴン、ゴン⋯私、どうしたらいい?」
「文子ちゃん⋯⋯大丈夫だよ!僕がついているから!もっと頑張ろうよ!」
文子はタルパのゴンを優しく抱きしめる。